日別アーカイブ: 2017年6月3日

和田館跡(滋賀県東近江市)

和田館跡

六角氏一門・和田氏の平時居館。
詳しい時期は不明だが、和田左馬助定秀による築城。

和田氏は六角高成(和田和泉守高成)の二男・定秀が神崎郡和田に住して「和田左馬助定秀」と名乗ったことに始まり、六角氏の一門として和田山城を拠点とした。
和田定秀の孫・高盛の代に甲賀郡和田に移り住んだとされる。

和田山南麓の和田集落内に「堀之内」の旧地名が残り、居館の存在が伝承されている。 続きを読む

東馬次郎屋敷(滋賀県近江八幡市)

東馬次郎屋敷

東氏代々の居館。
1578年、豊浦住人の伝蔵(東馬次郎)が織田信長主催の相撲大会の褒賞として100石の知行地を与えられたことが始まり。

1578年、織田信長は安土城下で3回目となる相撲大会を開催。
その相撲大会に参加した伝蔵と呼ばれる人物が褒賞として100石の知行地と屋敷、東の姓を与えられて「東馬次郎」と名乗る。
以降、東氏は代々に渡って同地を領し続けた。
東の姓は伝蔵が土俵の東側から上がったことに由来するとの伝承が残る。
また、東氏は元は豊浦冠者と呼ばれる在地の有力者で、六角氏の旧臣であったとする説もある。

同地には現在も東馬次郎の子孫が在住。
居宅の門に「伝承 豊浦冠者」の表札が掲げられ、東氏の末裔であることが窺える。 続きを読む

下日吉城跡(滋賀県東近江市)

下日吉城跡

旧神崎郡下日吉村にあったとされる城館。
築城時期は不明だが、城主に後藤氏の名が確認できる。

下日吉地区(現・五個荘日吉町)の住宅地の北東に広がる水田に「城」「城跡」の旧地名が残る。
地元の伝承では、水田から住宅地に至るまでが城域とされている。
西側の山上には後藤但馬守賢豊が守備した佐生城があり、それに付随した城館であったと推測される。 続きを読む

金堂城跡(滋賀県東近江市)

金堂城跡

旧神崎郡金堂村にあったとされる城砦。
詳細は不明だが、六角氏に関連する城砦であると推測される。

大城神社の境内一帯が城域とされる。
大城神社は621年に聖徳太子が創建した金堂寺に始まり、六角氏が観音寺城を築城するにあたり鬼門を護る守護神として信奉した。
1568年の織田信長の上洛の際に金堂一帯は主戦場のひとつとなり、神社も兵火に見舞われている。
境内の北側に見られる土盛りは土塁跡と伝わるが、城郭遺構であるかは不明。

城域の東側に平景清が平家再興を 祈願するために京を目指す際に通った古道「景清道」が通り、古来から往来が盛んな土地であったことから、街道監視の目的があったものと推測される。 続きを読む

塚本館跡(滋賀県東近江市)

塚本館跡

旧神崎郡川並村にあったとされる城館。
築城時期は不明だが、同地の住人として「塚本民部丞」の名が確認できる。
中世における塚本氏の動向は不明だが、近世には北町屋を拠点とする縮緬商人に塚本氏の名が見られる。

八幡神社の西側に広がる水田が城域とされる。
耕作地として開発されており、遺構は存在しない。 続きを読む