大坂湾防衛のために設置された陣屋のひとつ。
1861年、幕府より住吉浜海岸警備を命じられた土佐藩が設置。
1860年、幕府より大坂湾防衛(摂海警衛)を命じられた土佐藩は住吉郡中在家村および今在家村に1万79坪の土地を与えられ、陣屋を造営。
吉田東洋を仕置役として、普請奉行に後藤象二郎、作事奉行に寺村左膳が命じられ、翌年の1861年に完成した。
紀州街道沿いに面する西側を正面とし、上町台地西崖に接する東側を除く三方に堀を巡らせていた。
敷地には陣屋のほかに武芸所の文武館、厩舎、火薬庫、射撃場、操練所があり、約300名が常駐していたとされる。
海岸沿いには旧浜川砲台から移動させた大砲数門が据えられ、その構えは「城郭に匹敵する」といわれた。
1866年、土佐藩は京都警護を命じられため、住吉の陣屋は廃止。
主だった建物は京都白川の土佐藩邸に移築された。
大阪市立東粉浜小学校および東粉川幼稚園付近にあったとされる。
同地に遺構は存在しないが、生根神社に石垣が転用されている。
2010年、地元有志の手にによって『土佐藩住吉陣屋跡』の碑が建てられた。 続きを読む