タグ別アーカイブ: 中世

中野城(滋賀県大津市)

中野城

在地の土豪・中野氏の居城。
応仁年間、中野加賀守宗成による築城。

中野氏は鎌倉時代から田上の地を領した一族。
応仁年間に中野城を築いて勢力を拡げ、1488年には中野宗成が北野社から田上中庄の代官に任命されたことが確認できる。(その翌年に罷免されたとも)
中野氏は戦国期に羽栗城に移ったと伝わり、羽栗城は織田氏に攻められて落城している。

荒戸山(標高160m)の北西麓、荒戸神社の境内北側の台地上に位置する。
同地には複数の平坦地と5mを超える土塁状の地形が確認できるも調査はされておらず、城の全容は不明。 続きを読む

芝原城(滋賀県大津市)

芝原城

旧栗太郡芝原村にあったとされる丘城。
築城時期・築城主など、詳細は不明。

栗太郡芝原村は、鎌倉時代より青地氏一族の芝原氏が治めていたとされる。
1362年に芝原右京進重兼が栗太郡目川に居城を移した後、中野氏が入城。
室町時代に芝原村を治めた領主として、「中野備後守宗永」「中野加賀守宗成」「中野左衛門助宗高」の名が確認できる。
長享・延徳の乱(鈎の陣)では、六角方の陣所として利用されたと思われる。

波穂神社背後の山中にあったされるが、詳しい位置は不明。 続きを読む

大覚寺城(兵庫県尼崎市)

大覚寺城

室町幕府2代将軍・足利義詮の陣城。
1359年、足利義詮が在陣。

大覚寺は605年に百済の僧・日羅によって創建され、1275年に琳海が再興した律院寺院。
1359年に足利義詮が半年間に渡って在陣したことから、『大覚寺城』と呼ばれるようになった。
大覚寺の門前には市場が設けられて市庭町として発展し、中世都市としての尼崎が形成されたといわれる。

現在の大覚寺は1617年の尼崎城築城に伴って移転したもの。
当時の絵図には境内の北東側に大物橋が描かれており、現在の尼崎市東本町4丁目付近にあったと推測される。 続きを読む

大物城(尼崎古城)(兵庫県尼崎市)

大物城

海運上の要地である大物浦を抑える城砦。
文献上の初見は1473年の『萩藩閥閲録』に見られるが、一般的には1519年に細川高国が「柵城」を築いたことを始まりとする。

大物浦は古くから海運上の要地として栄えた地域。
1519年に管領・細川高国が同地に「柵城」を築き、1526年には細川尹賢に城の拡張を命じている。
1527年、細川高国と細川晴元が争った桂川原の戦いの折に落城。
播磨守護代・浦上村宗の支援を得た高国は、1530年に城将の薬師寺三郎左衛門国盛を降伏させて城を奪還した。
しかし、その翌年に中嶋で細川晴元勢に大敗して尼崎に敗走。(大物崩れ)
細川高国は大物城へ撤退中、紺屋に潜伏していたところを三好元長に捕縛され、廣徳寺で自害した。

その後も大物の地は幾度も戦場となっており、天文年間から元亀年間のうちに28回の在陣が確認できる。
1577年には荒木村重の嫡男・荒木村次が城主となり、翌年に村重が織田氏に対して謀叛を起こすと、大物城は荒木方の要地のひとつとなった。

阪神電鉄大物駅の南側から大物主神社にかけての一帯が城域とされる。
周辺は宅地開発が進み、遺構は存在しない。 続きを読む

田所城(府中城)(大阪府和泉市)

田所城

在地の土豪・田所氏の居城。
築城時期は不明。

田所氏の出自は明らかでないが、「田所」の苗字は国衙において田畑に関する台帳の作成・管理を担う職にあり、付近にある和泉国府と何らかの関係があったことが想像される。
戦国期の城主である田所大和守は大鳥明神の神職を務めた人物で、和泉三十六郷士のひとりに数えられる。
府中・和気・井口・黒取・板原・肥子の各村と八木郷に5ヶ村を領し、その広大な所領から「上ノ大和殿」と称された。

JR和泉府中駅の近く、大泉寺付近にあったと思われる。
泉井上神社境内に残る「古城」の碑は同地から移されたもので、「城主田所元※(最後の文字は不明)」と刻まれている。 続きを読む

森城(大阪府泉大津市)

森城

旧和泉郡森村にあったとされる城砦。
築城時期・築城主など、詳細は一切不明。

詳しい位置は不明だが、現在の森町内にあったと推測される。
西蓮寺を含む南北に長い区画が周辺より僅かに高くなっており、西蓮寺を境に道路が北側に落ち込んでいることが確認できる。
そのことから、この付近に城館があった可能性が高いと考えられる。

和泉郡森村は千原城を本拠とする玉井氏の所領であり、玉井氏の千原城・曽根城と近いことからも玉井氏に関連する城砦であったと思われる。 続きを読む