国領氏代々の居城。
永禄年間、国領孫左衛門宗久による築城。
国領宗久は六角承禎に仕え、1569年に戦死したとされることから織田氏による上洛軍と戦ったものと考えられる。
その子・孫三郎理氏は小川氏の養子となっており、1563年に布施山城で戦死。
国領氏は宗久の次男・孫九郎信久が継ぎ、その子孫は幕府旗本として甲賀郡内に580石を領して幕末まで存続した。
能登川中学校の北側、住宅地を抜けた先の水田が城域と考えられる。
一般には「川内王の邸宅跡」とされるが、国領氏が川内王の末裔とする説のためと思われる。 続きを読む