日別アーカイブ: 2015年3月15日

矢島氏館(滋賀県守山市)

矢島氏館

矢島氏代々の居館。
天文年間、片岡善右衛門元恒による築城。

矢島氏は古くからの在地領主。
築城者の片岡善右衛門の名は1555年の多賀大社梵鐘銘文に確認できることから佐々木氏の有力被官であったと思われるが、矢島氏との関連は不明。
1565年に足利義輝の弟・覚慶(後の足利義昭)が興福寺から逃れてくると、当時の当主・矢島越中守は館の東側に居館を築いて匿い、その警護に当たった。

現在、城域には少林寺が立つ。
境内には土塁が残るとされるが、整備はされていない。
周辺には「堀の内」「北垣内」などの城に関係する旧地名が残る。 続きを読む

矢島御所(滋賀県守山市)

矢島御所

足利義輝の弟・覚慶(後の足利義昭)の居所。
足利義輝暗殺の難から逃れた覚慶を匿うため、1565年に六角承禎が矢島越中守に命じて築城。

覚慶はこの地で還俗し、『足利義秋』と名乗る。
しかし、承禎が三好三人衆と組んだため、僅か1年で同地を離れることとなった。
江戸時代には跡地に大溝藩の陣屋が建てられ、明治に入って村に払い下げられて会所として使用された。

現在、城域には矢島町の自治会館が建つ。
地籍図からは三方を土塁に囲まれた50m四方の方形であったことが伺える。
隣接する公園にはかつて堀跡が残っていた。 続きを読む

木浜城(滋賀県守山市)

木浜城

六角氏の重臣・進藤氏の居城。
室町時代後期、進藤長久による築城。

『六角の両藤』と称された進藤氏の本城であり、木浜は南北朝時代から江戸時代初期まで琵琶湖の重要な湊として繁栄していた。
1572年に織田氏に従う進藤賢盛と城の奪還を図る大原賢永との間で戦闘が発生している。

木浜集落の真正寺付近が城域と考えられているが、正確な位置や規模は不明。 続きを読む

大槻氏館(滋賀県守山市)

大槻氏館

大槻氏代々の居館。
大槻氏は木浜集落に古くから在地している一族で、1195年の源頼朝上洛に付き従った御家人の中にも大槻氏の名が見られる。

戦国期には六角氏に仕え、六角氏の衰退後は織田信長に従う。
江戸時代初期には津藩に属して大坂の陣で功を挙げ、後に木浜に戻ったとされる。

現在も同地には大槻氏の子孫が居住。
周囲の道路にはかつての堀の名残が感じられる。 続きを読む

小浜城(滋賀県守山市)

小浜城

六角氏の重臣・進藤氏の居城のひとつ。
天文年間、進藤貞治による築城。

野洲川河口の小浜集落にあり、古くから水運の要衝として重要視された。
進藤氏の本城である木浜城の支城と考えられる。
進藤氏は六角氏の衰退後に織田信長に仕え、本能寺の変後は織田信雄・豊臣秀吉に仕えている。

現在の小浜集落全体が城域とされ、中心部は称名院あたりを北東端とする南北方向に長い長方形をしていたと考えられている。 続きを読む