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坂本城(滋賀県大津市)

坂本城

織田氏の近江国滋賀郡支配の拠点となった水城。
1571年、明智光秀による築城。

1571年、比叡山延暦寺攻めの最中に織田信長の命で築城が始まったとされる。
延暦寺焼き討ちの後に近江国滋賀郡が明智光秀に与えられ、以降は明智光秀の居城となった。
湖西・湖南方面の反織田勢力に対する軍事拠点として機能し、元亀年間に木戸城・田中城・今堅田城・石山城を制圧し、近江南部をほぼ平定。
浅井氏の滅亡で近江一国が統一された後も、琵琶湖の西側を通る西近江路の治安維持と湖上交通監視の要となる。
1582年に明智光秀が山崎の戦いで敗れた後は丹羽長秀が入城し、羽柴秀吉による近江支配の拠点となる。
1586年、大津城が築かれたことで廃城。

琵琶湖に突き出した本丸を中心に、二の丸と三の丸で囲んだ半輪郭式の構造。
『天王寺屋会記』によると、1578年に津田宗及が坂本城に招かれた際に城内から直接船に乗り込んで安土城に向かったとあり、建物が琵琶湖に接した水城であったことが窺える。
本丸には大天守と小天守からなる連結式天守が築かれ、安土城と並び称されるほどの「豪壮華麗」な城郭であったとされる。

現在、城域の大部分は宅地化され、中央を国道161号が貫通する。
城域に遺構は存在しないが、二の丸を囲む中堀の北辺と西辺が道路、南辺が水路に姿を変えつつも、ほぼ完全な形状を住宅地内に残す。
また、三の丸を囲む外堀は北辺の一部が道路、南辺の一部が住宅地内の路地、西辺の一部が水田に姿を変えている。
西辺の水田を堀跡とした場合、外堀の堀幅は20mほどあったと推測される。
1979年に実施されら発掘調査により、本丸跡から10~30cmの焼土層とともに4棟の建物の礎石と石組みの井戸跡や溝跡などが発見され、その上に3棟の建物と石積みの跡が確認された。
この発見により、坂本城が一度炎上した後に建て替えられたことが明らかとなった。
建物の多くは大津城築城の資材にされたが、聖衆来迎寺表門および西教寺総門に城門が移築現存する。 続きを読む