青山城(滋賀県大津市)

青山城

元亀年間の志賀の陣において朝倉・浅井方が構築した陣城のひとつ。
1570年、朝倉氏による築城。

『信長公記』によると、宇佐山城を攻囲中の朝倉・浅井勢は織田信長本隊が京に帰還したことで比叡山へと後退。
「つぼ笠山」「はちが峯」「あほ山」の3ヶ所に布陣し、籠城戦に切り替えた。
2ヶ月に及ぶ膠着状態の後に和議が成立すると、青山城は浅井勢によって焼き払われた。
壺笠山の北峰にある青山が「あほ山」に相当すると推測されている。

青山(標高390m)山頂に築かれた山城。
最頂部に南北40m、東西20mの細長い平削地が確認でき、南側を除く三方は急斜面の自然地形で防御。
周囲に土塁や堀切などの痕跡は見られず、山頂に限定された単郭の城砦であったと思われる。
しかし、南側の尾根下には僅かに平地が見られるなど、麓に小曲輪が存在する可能性が考えられる。

現在は木々で遮られているものの琵琶湖を見渡す好立地にあり、物見の役目があったものと推測される。

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所在地

滋賀県大津市坂本本町

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