日別アーカイブ: 2018年8月13日

大門砦(兵庫県豊岡市)

大門砦

木崎城の支城のひとつ。
築城時期は不明。

詳しい位置は不明だが、木崎城とその支城である妙楽寺城の間に位置していたとされる。
大石吉之進墓所のある丘が「大門山」と呼ばれており、遺構は確認できないものの同地にあった可能性が高いと考えられる。 続きを読む

正法寺城(兵庫県豊岡市)

正法寺城

木崎城の支城のひとつ。
築城時期は不明だが、1366年には同地に城砦が存在していたと思われる。

文献上の初出は『伊達文書』の1366年、北朝方の伊達真信が南朝方の「木崎性法寺」を攻め落としたとある。(伊達真信軍忠状)
また、1488年に播磨攻めから撤退した山名政豊を木崎城主・田公肥後守豊職が保護し、しばらく正法寺に住まわせたと伝わる。
正法寺は天正年間に寺領没収に遭って荒廃し、正法寺城も同時に廃城になったものと思われる。

JR豊岡駅の南東、山王公園から日吉神社境内に至る丘陵一帯に位置する丘城。
日吉神社境内を主曲輪、その南側下段にある山王公園を副曲輪とする複郭の構造であったと考えられる。
主曲輪の周囲には土塁と竪堀が残っていたとされるも、現在は確認できない。 続きを読む

豊岡陣屋(兵庫県豊岡市)

豊岡陣屋

豊岡藩の藩庁。
1668年、京極高盛による設置。

1668年、京極高盛が3万5千石で豊岡に入領。
それまでの藩庁であった豊岡城の北東麓に陣屋を設置し、新たな藩庁とした。
1726年に4代・高寛が10歳で没すると、6歳の弟・高永が1万5千石に減封の上で家名を相続。
京極氏は明治維新に至るまで、9代に渡って同地を領した。

現在、陣屋跡は豊岡市立図書館の敷地となっている。
図書館建設に伴う発掘調査により、地表面から約2m下に江戸時代後期の建物痕が、その数10cm下からは江戸時代初期の建物痕が検出。
その他、堀や石垣、裏門の痕跡なども見つかり、陣屋の実態が明らかとなった。

図書館の正門は元は久美浜県庁の正門であったものが、1871年の統合によって豊岡県庁の正門として移築されたもの。
陣屋の遺構として、陣屋表門が福成寺(豊岡市出石町内町)、門2棟が長松寺(豊岡市下鶴井)と慈等寺(豊岡市三宅)に移築現存する。 続きを読む

金山砦(兵庫県豊岡市)

金山砦

旧城崎郡高屋村にあったとされる城砦。
築城時期・築城主など、詳細は一切不明。

金山稲荷神社の境内一帯に位置する山城。
頂部の社殿および下段の廃屋が建つ平坦地が城域と思われ、東西170mの細長い2段の曲輪で構成される。
下段の曲輪の北東下には小さな平坦地があり、東側の円山川に対しての物見の役目を果たしていたものと思われる。
また、境内北側の駐車場も尾根筋を掘り下げた位置にあることから曲輪跡の可能性が高いと考えられるが、後世の改変が著しいために城郭遺構との判別は困難。

木崎城(豊岡城)から北西に僅か1.4kmの位置にあり、その位置関係から木崎城の詰城もしくは支城のひとつと考えられるものの、詳細は明らかでない。 続きを読む

上鉢山城(兵庫県豊岡市)

上鉢山城

田和豊後守の居城。
田和氏の名は城崎郡の在地土豪に確認できるが、その動向は不明。

六万川の西岸、上鉢山八幡神社南側の東西に細長い丘陵一帯が城域とされる。
丘陵の東麓にいくつかの平坦地が見られるが、現在はそのほとんどが墓地に転用されている。 続きを読む

耕地谷城(兵庫県豊岡市)

耕地谷城

旧城崎郡戸牧村にあったとされる城砦。
築城時期・築城主など、詳細は一切不明。

九日市集落の西側、丘陵先端に築かれた小規模な丘城。
2003年に実施された国道426号豊岡バイパス開通工事に伴う発掘調査で4基の古墳群が確認され、古墳を利用した城であることが判明した。
その規模は東西30m、南北45mとなり、集落の避難所であったと考えられる。
その後の斜面の補強工事により、遺構は消滅した。 続きを読む

木崎城 / 豊岡城(兵庫県豊岡市)

豊岡城

山名氏の支城のひとつ、のちに豊岡藩初期の藩庁。
時期は不明だが、山名持豊が此隅山城の出城として築城。

詳しい時期は不明だが、此隅山城の出城として山名持豊が築城したことに始まる。
長享年間には播磨攻めから撤退する山名政豊に従って但馬に戻った田公肥後守豊職が木崎城に拠り、山名俊豊擁立を望む諸将の動きに抵抗している。
戦国期には垣屋氏が城主に配されて同地での勢力を強め、1575年以降は垣屋豊続の影響下として木崎城は轟城の支城網に組み込まれたものと思われる。

1580年に山名氏の本城である有子山城が落城すると、宮部継潤が入城。
同地は「豊岡」と改められ、城の改修と城下町の整備が進められた。
1582年に宮部継潤が鳥取城に転封となった後は木下重堅、尾藤知定、明石則実、福原道高と城主が替わり、1598年に杉原長房が2万石で入領。
しかし、杉原氏は3代・重玄のときに無嗣子断絶で改易となり、豊岡は幕府領となった。
1668年に京極高盛が3万5千石で入領するも山麓に陣屋が築かれ、豊岡城はそれまでに廃城になったものと思われる。

神武山(標高48m)一帯に築かれた平山城。
山頂の本丸を中心に、東西に渡って曲輪が階段状に展開される連郭式の構造を持つ。
本丸は60m四方程度の平坦地となり、東側に虎口石垣、北西隅には五角形の小規模な天守台があったとされるも現在は何れも消滅している。
本丸西側の稜線上に笠の丸、北側に萩の丸が配され、東側の稜線上にも複数の曲輪が見られる。
城域全体の規模は東西330m、南北160mに及ぶ。

公園整備と貯水施設の建設によって遺構の大部分は消滅しているが、1992年に実施された発掘調査で本丸南側の斜面に3本の堅堀を伴う畝状堅堀が発見されるなど、戦国期の改修の痕跡が確認されている。 続きを読む

九日市比丘尼城(兵庫県豊岡市)

九日市比丘尼城

木崎城の支城のひとつ。
築城時期は不明。

詳しい位置は不明だが、同じく木崎城の支城である妙楽寺城の南、羽水城の北にあったとされることから、現在のニチイケアセンター豊岡の森が建つ周辺の丘上と推測できる。 続きを読む

妙楽寺城(兵庫県豊岡市)

妙楽寺城

木崎城の支城のひとつ。
築城時期は不明。

妙楽寺城についての詳しい動向は不明だが、1390年5月に山名氏清・満幸が妙楽寺城に籠もる山名時煕・氏幸を攻め、同年10月に妙楽寺城は落城したことが『妙楽寺文書』『南山編年録』などの文献から確認できる。
少なくとも天正年間まで山名氏の影響下にあり、他の支城と同じく有子山城の落城とともに廃城になったものと思われる。

妙楽寺集落の西側、妙楽寺背後の見手山丘陵(標高70m)に位置する丘城。
山中にL字状に曲輪が展開され、大きく東曲輪・西曲輪と南曲輪、それらを繋ぐ中曲輪で構成される。
東端となる東曲輪は東西100mほどの東西に細長い平坦地があり、西側を除く三方が斜面となる。
東寄りに櫓台と思われる高まりが見られるほか、中央には空堀と土塁を伴う小さな区画が作られている。
西曲輪は東西110mほどの東西に細長い平坦地で、中央に30m四方の櫓台と思われる地形が見られる。
西曲輪の南西から折れを伴う虎口を下ると、50m四方の広さの中曲輪に至る。
中曲輪は南西隅に掘切と虎口、南東隅にも虎口が確認でき、南東隅の虎口から麓の妙楽寺境内に至ることから大手口があったものと思われる。
中曲輪から南側に細長い通路を進む先に15m四方の南曲輪があり、西側背後を高さ3mほどの土塁、それ以外の三方が急斜面となっていることから東側に向けての物見の役目があったことが推測できる。

城域の各所には妙楽寺に関連すると思われる石仏が建ち、城域全体が妙楽寺の寺域であったと思われる。
その規模は東西230m、南北170mに及び、木崎城の支城群において随一の規模と技巧的な縄張りを誇る。 続きを読む

小出倉見陣屋(兵庫県豊岡市)

小出倉見陣屋

幕府旗本・倉見小出氏の陣屋。
1803年、倉見小出氏による設置。
倉見小出氏は1666年、小出英本が2千石を分知されて旗本になったことに始まる。

出石藩主・小出吉英の死後、その遺領5万石は長男・吉重が4万5千石で相続し、残りは二男・英本に出石郡2千石(倉見小出氏)、三男・英信に養父郡2千石(大薮小出氏)、四男・英勝に気多郡1千石(山本小出氏)を分知されて旗本小出氏3家が成立。
倉見小出氏は出石郡倉見・長谷・三原・東里・日向・西野々・高竜寺・畑山・赤花に所領を持ち、倉見村に陣屋を設置。
明治維新に至るまで、13代に渡って同地を領した。
成立当初の陣屋は倉見宮ノ下にあったとされるが、1803年に倉見岩谷に陣屋を移している。

倉見集落の北側、妙見神社の境内一帯にあったとされる。
神社境内は立入禁止となっているが、周囲に石垣と堀跡が残る。
その構造を示す絵図は残されていないものの、陣屋の規模は100m四方に及ぶと考えられる。

2008年、豊岡市史跡に指定。 続きを読む

九日市城(兵庫県豊岡市)

九日市城

山名氏初期の居館。
築城時期は不明だが、南北朝時代には城館が存在していたと思われる。

1354年、南朝方の石堂頼房が丹波侵攻に際して九日市に到着したとあり、その頃には山名氏が同地に居館を構えていたものと考えられる。
1471年には応仁の乱で東軍に与した山名是豊の子・七郎頼忠が九日表の対岸に布陣して戦闘となり、九日市城の留守居役である垣屋越前入道宗忠が戸牧山に布陣する頼忠方の奈佐太郎を撃ち破り、頼忠方を敗走させた。
少なくとも1491年頃までは山名政豊が同地に居住していたことが確認でき、その後に此隅山城に移ったものと思われる。

円山川の西岸、九日市上町および九日市中町一帯に城館があったと考えられ、中心とされる場所には「御屋敷」の旧地名が残る。
周辺は宅地化されており、遺構は存在しない。 続きを読む

下鉢山城(兵庫県豊岡市)

下鉢山城

旧出石郡下鉢山村にあったとされる城砦。
築城時期・築城主など、詳細は一切不明。

六万川の東岸、下鉢山会館背後の独立丘陵上に位置する。
頂部の熊野神社を主曲輪とし、南北340mの丘陵全体が城域と考えられる。 続きを読む