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明石城(兵庫県明石市)

明石城

明石藩の政庁。
1617年、明石藩主となった小笠原忠真によって築城を開始。
1619年正月から作事が始まり、翌年の正月には小笠原忠真が船上城から移り住んだ。

徳川秀忠より船上城に代わる新城築城の命を受け、小笠原忠真と本多忠政によって築城地に人丸山(赤松山)を選定。
幕府旗本の都筑為政・村上吉正・建部政長らを普請奉行とし、三木城・高砂城・枝吉城・船上城などの建材を使用して築城された。
1632年、小笠原忠真は豊前国小倉藩に転封。
その後は藩主が目まぐるしく入れ替わり、1682年に越前松平氏・松平直明が6万石で入城。
以後、明治維新まで10代189年間に渡り、越前松平氏の居城となる。
1874年、廃城。

丘陵舌端に築かれた連郭梯郭混合式の平山城。
JR明石駅の北側にあり、山陽道から丹波・但馬・淡路に通じる交通の要衝に位置する。
本丸を中心に東側に二の丸・東の丸、南側に三の丸、西側に稲荷曲輪を配置。
城の中心部となる本丸・二の丸・東の丸の石垣や土塁、堀などの作事は江戸幕府が担当した。
本丸の西南に天守台が造られているが天守は建てられず、四隅に建てられた三重櫓(巽櫓・坤櫓・乾櫓・艮櫓)のうち坤櫓が天守を代用したとされる。
四隅の櫓のうち、巽櫓(本丸南東端)と坤櫓(本丸南西端)が現存。
巽櫓は船上城の遺材が使用されたと伝わり、坤櫓は伏見城から移築されたものと判明している。
本丸には藩主の居館として3階建ての御殿が建てられ、その他の建造物として二重櫓6棟、平櫓10棟、門27棟が存在した。

城跡を含む周辺は1883年より公園整備が始まり、1918年に「兵庫県立明石公園」として開園。
1957年、巽櫓および坤櫓が国の重要文化財に指定。
1995年の阪神・淡路大震災で櫓や石垣が被害を受けたが、1999年に全面修復された。
2004年、城跡が「明石城跡」として国史跡に指定。
「日本さくら名所100選」および「日本100名城」に選定されている。 続きを読む