日別アーカイブ: 2015年9月5日

堀城(中嶋城)(大阪府大阪市)

堀城

細川氏の陣城。
1566年に細川藤賢が築城したとされるが、同地には深井の戦い(1511年)や桂川原の戦い(1527年)で砦が築かれていたことが確認できる。

享禄・天文の乱では一揆衆が籠城して細川晴元と争い、江口の戦いでは三好政長方が前線として利用している。
1573年の足利義昭の挙兵で義昭方が籠城するも落城し、そのまま廃城となった。

城域は現在の十三公園付近とされ、築城当時は中津川(1910年に廃川)に面していたと考えられる。
別名を中嶋城。 続きを読む

福島城(大阪府大阪市)

福島城

元亀年間の織田氏と畿内諸勢力との争いにおいて三好三人衆と斎藤龍興が籠城に用いた城のひとつ。
野田城とともに三好氏の拠点として機能し、1576年の落城後は織田方の陣地となった。

現在も正確な場所は特定されていない。
大坂の陣では大坂方が「下福島の五分一」に砦を築いたとされ、福島城の跡地が活用されたとも考えられる。 続きを読む

大和田城(大阪府大阪市)

大和田城

石山本願寺の支城のひとつ。
築城時期は不明だが、天文年間には城砦が存在したと考えられる。

1536年、摂津国中嶋で石山本願寺方の中嶋五ヶ所の衆(大和田、野田、御幣島、海老江、三番)と細川晴元の部将・木沢長政の間で死者800名を出す合戦が起こっており、その頃には城砦が存在したものと思われる。
元亀年間の織田氏との抗争(石山合戦)の際に石山本願寺の支城として砦が築かれ、下間某が入城。
本願寺勢は神崎に布陣した織田方・荒木村重を攻めて一旦は敗走させるも、十三の渡しで荒木勢の反撃に遭って敗北し、大和田城は落城した。
その後は荒木村重の支配下となり、石山本願寺を牽制するために改修が行なわれ、安倍仁右衛門良成が城主を務めた。

1578年、荒木村重が織田氏に対して謀叛を起こすと、安倍良成は織田方に内通。
祖父と父が荒木方となって籠城するも、それを拘束して安土城へ送ったとされる。
城はその後も安倍良成を城主としたまま存続し、大坂の陣では大坂方として冬・夏ともに池田利隆の軍と交戦したとされる。

大阪市立大和田小学校の敷地内に城址碑が建つ。
元は同地より400mほど北西にあったものが、市営住宅建設のために現在の地に移設された。
大和田城の位置は現在でも明らかとされていないが、『西成郡史』によると「垣内と呼ばれる地域」にあったとされる。
「垣内」の旧地名は現在の大和田5丁目に相当し、城址碑が元あった場所と合致する。

『信長公記』によると1578年の荒木村重の謀叛の際に安倍良成の祖父と父は天守に立て籠もったと記され、大和田城には天守があったと考えられている。 続きを読む