朽木氏代々の居城。
鎌倉時代初期、朽木義綱による築城。
朽木氏は高島高信の次男・高島頼綱を祖とする一族。
頼綱の三男・義綱が近江国朽木庄を領して朽木五郎を名乗ったことが始まり。
室町時代には代々に渡って足利将軍家に仕えて奉公衆を務め、室町幕府滅亡後は織田信長・豊臣秀吉に従って朽木谷2万石の所領を安堵されている。
江戸時代に宗家は交代寄合として存続し、朽木谷の地を領有したまま明治維新を迎える。
安曇川と北川が合流する野尻に位置し、若狭・越前と京を結ぶ朽木街道に面した交通の要衝に建つ。
江戸時代の陣屋は南辺310m・北辺200m・東辺115m・西辺125mの台形の敷地周囲に堀を巡らせ、土塁で囲まれていたとされる。
南側には石垣と水掘を配し、現在も水掘の一部が県道23号線沿いに残る。
陣屋の内部は本御殿と西御殿を中心に、侍所・武具蔵・煙硝蔵・米蔵・剣術道場・鉄砲場・馬場などが連ねられていた。
現在、城域は史跡公園として整備され、僅かに石垣と土塁、井戸の跡が残る。
併設する朽木郷土資料館には朽木と高島市内の史跡に関する資料が展示されている。 続きを読む