月別アーカイブ: 2015年8月

朽木城 / 朽木陣屋(滋賀県高島市)

朽木城

朽木氏代々の居城。
鎌倉時代初期、朽木義綱による築城。

朽木氏は高島高信の次男・高島頼綱を祖とする一族。
頼綱の三男・義綱が近江国朽木庄を領して朽木五郎を名乗ったことが始まり。
室町時代には代々に渡って足利将軍家に仕えて奉公衆を務め、室町幕府滅亡後は織田信長・豊臣秀吉に従って朽木谷2万石の所領を安堵されている。
江戸時代に宗家は交代寄合として存続し、朽木谷の地を領有したまま明治維新を迎える。

安曇川と北川が合流する野尻に位置し、若狭・越前と京を結ぶ朽木街道に面した交通の要衝に建つ。
江戸時代の陣屋は南辺310m・北辺200m・東辺115m・西辺125mの台形の敷地周囲に堀を巡らせ、土塁で囲まれていたとされる。
南側には石垣と水掘を配し、現在も水掘の一部が県道23号線沿いに残る。
陣屋の内部は本御殿と西御殿を中心に、侍所・武具蔵・煙硝蔵・米蔵・剣術道場・鉄砲場・馬場などが連ねられていた。
現在、城域は史跡公園として整備され、僅かに石垣と土塁、井戸の跡が残る。
併設する朽木郷土資料館には朽木と高島市内の史跡に関する資料が展示されている。 続きを読む

岩神館(滋賀県高島市)

岩神館

京の兵乱より逃れてきた将軍・足利義晴のために建てられた館。
1528年、朽木植綱による築城。
義晴は1531年までの3年間、同地に滞在した。

1606年には当時の当主・朽木宣綱が妻の菩提を弔うために秀隣寺を建てている。

現在、城域には興正寺が建つ。
境内には築城当時の庭園で国指定文化財である「旧秀隣寺庭園」のほか、土塁・空堀・石垣などが残る。 続きを読む

膳所城(滋賀県大津市)

膳所城

膳所藩代々の居城。
1601年、江戸幕府の号令による天下普請として築城。

関ヶ原の戦い後、徳川家康は大津城を廃して相模川河口付近の膳所崎に新城の築城を命じた。
藤堂高虎が縄張りを担当し、諸大名の助役による天下普請によって1601年に完成。
同年に戸田一西が3万石で入領し、膳所藩が成立した。
一西の子・戸田氏鉄が1617年に摂津国尼崎藩に転封となると、本多康俊が三河国西尾藩より入城。
その子・本多俊次が西尾藩に戻ると1621年に伊勢国長島藩より菅沼定芳、1634年に下総国佐倉藩より石川忠総が相次いで入城した。
忠総の子の石川憲之が1651年に伊勢国亀山藩に転封となった後に本多俊次が7万石で再び入城し、以降は13代220年に渡る本多氏の居城として明治維新を迎えた。

琵琶湖に突き出た梯郭式の水城。
陸続きの部分に三の丸を配し、二の丸・北の丸・本丸が琵琶湖に突出した構造を持つ。
築城当時は城域の大部分が琵琶湖に突き出しており、1662年の大地震による改修で築城当時の本丸と二の丸を繋げて新たな本丸とし、当時の三の丸を二の丸、陸地部分に新たに三の丸を拡張した。
本丸の西隅には4重4階の天守があったとされる。
湖面に映る姿は「瀬田の唐橋からねぎぼし、水に浮かぶは膳所の城」と謡われ、「日本三大湖城」のひとつに数えられる。

1870年に廃城。
廃城の太政官布告が出された翌日には、天守を含む大部分の建物の解体・移築が行なわれた。
その過程で多くの城門が付近の寺院に移築され、膳所神社(本丸大手門および城門)・篠津神社(北大手門)・鞭崎神社(南大手門)・若宮八幡神社(本丸犬走門)・御霊神社(本丸黒門)・近津尾神社(米倉門)・新宮神社(二の丸水門)、および泉大津市の細見家(瀬田口総門)に移築現存する。
瀬田口総門番所が民家に移築されていたが、2006年に取り壊された。
その他の移築建造物としては、大津市内の芭蕉会館に本丸隅櫓が大幅に改修されて現存する。
現在、本丸跡は『膳所城跡公園』として整備され、二の丸跡は膳所浄水場の敷地となっている。 続きを読む

和邇城(滋賀県大津市)

和邇城

和邇氏代々の居城。
築城時期は不明だが、城があった旧高城村は足利尊氏により園城寺に寄進された後、1500年代に和邇越中守信方らによる統治が始まったとされる。

元亀年間に織田信長の支配下に入る。

住宅地の中心に山林が残り、遊歩道が造られているが、城跡としては整備されていない。 続きを読む