砂城 / 砂教会(大阪府四條畷市)

砂城

在地の土豪・結城左衛門尉忠正の居城。
築城時期は不明。

結城氏は室町時代初期に摂津国西成郡の分郡守護として名が見られ、室町幕府の奉行を務めていた一族。
戦国期には結城左衛門尉忠正が三好長慶に仕え、松永久秀に属した。
結城忠正は1563年に高山友照・清原枝賢らとキリスト教の洗礼を受け、畿内で活動するキリシタンの有力な庇護者として「結城殿」と称された。

時期は不明だが、自身の居城近くにキリシタン寺院(教会)を建設。
教会を中心とした砂の地は「砂の寺内」と呼ばれ、信徒3,500人が集まったと耶蘇会史通信使史料に記される。
1577年、結城弥平次(結城忠正の甥)によって砂の教会は破壊され、同地の東に位置する岡山に新しく教会が建てられた。
同じ頃、結城氏の本拠も岡山に移ったものと思われる。

1617年、砂の教会の跡地に法華宗寺院の妙法寺が創建され、現在に至る。
城の具体的な位置は不明であるものの妙法寺付近であることは明らかであり、妙法寺の前で東に折れ曲がる旧河内街道沿いにあった可能性が高いと考えられる。

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所在地

大阪府四條畷市砂

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