伊岐代城(滋賀県草津市)

伊岐代城

印岐志呂神社を城塞化した城砦。
1335年、比叡山の僧・宥覚が印岐代宮(印岐志呂神社)に砦を築いたことが始まりとされる。

1335年12月、後醍醐天皇の足利尊氏討伐に呼応した宥覚は僧兵千人を集め、印岐代宮に砦を築いて拠点とした。
京に向かう尊氏軍の背後を突こうとしたものの高師直の軍に急襲され、砦は一夜で陥落。
この戦いで宥覚をはじめ多くの僧兵が戦死し、生き残った者は船で対岸の坂本に逃れたとされる。

1572年に六角氏の残党が挙兵した際には織田氏の軍勢が乱入し、近江南部平定の拠点のひとつとしている。
度重なる戦火で神社は焼失したが、慶長年間に芦浦観音寺と長束正家の手によって社殿が復興。
大坂の陣の前には徳川家康が武運長久の祈願のために立ち寄ったとされる。

志那港と中山道を結ぶ志那街道と浜街道の交点に位置する。
現在も城域には印岐志呂神社が建つ。
境内の正面には石垣が築かれ、その両脇に土塁と堀を巡らせて外枡形の虎口を形成。
境内の西端に溝と低土塁、東端に低土塁と思われる地形が確認でき、社殿は周囲より僅かに高くなっている。
但し、それらが城の遺構であるかは不明。
元は不規則な多角形をした平坦地を持ち、その周囲を土塁と堀で囲っていたとされる。

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所在地

滋賀県草津市片岡町

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