四十九院城(滋賀県犬上郡豊郷町)

四十九院城

唯念寺が城塞化した寺院城郭。

唯念寺は731年に行基によって創建された法相宗の寺院で、行基が49番目に建立したことから当初は『四十九院』と呼ばれていた。
後に天台宗に改宗し、1506年に本願寺実如が一向宗の道場とした。
1580年、寺名を『唯念寺』に改める。

1351年、北畠親房と楠木正儀の侵攻によって京を追われた足利義詮が同寺に一時避難し、陣所としている。
翌年に3万の軍勢を整えた義詮は佐々木道誉と共に草津山田から堅田を経由して京に攻め入り、京の奪還に成功した。
1353年に再び京を追われた際にも、後光厳天皇を奉じて同寺に下向している。
1570年に織田氏と石山本願寺の対立が激化すると、四十九院の門徒200名が石山本願寺を救援するために挙兵。
安土付近で織田方と戦闘になり、多くの門徒が戦死した。
1615年の大坂夏の陣では、彦根藩の要請で大坂方の後方攪乱と周辺の一揆に対する警戒を担ったとされる。

同地には現在も唯念寺が建つ。

所在地

滋賀県犬上郡豊郷町四十九院

コメント