月別アーカイブ: 2016年1月

石山砦(滋賀県大津市)

石山砦

元亀年間の織田信長と足利義昭の抗争における足利方の砦のひとつ。
1573年、山岡景友による築城。

1573年1月、足利義昭は織田信長との対決姿勢を鮮明にし、今堅田および石山に砦を構築。
石山の砦には、前年に山城半国守護に任命された山岡景友が入城した。
その翌月に柴田勝家に攻められ、織田方に付いた兄・山岡景隆の説得に応じて降伏。
以降、景友は佐久間信盛の与力となる。

石山寺の背後にある羅漢山(標高190m)の中腹に位置する。
山頂の羅漢山公園に続く散策路の周囲に曲輪跡や土塁痕が残り、山頂から北側に堀切や竪堀と思われる地形が確認できる。
砦は築城中に落城したものと考えられ、その全容は不明。 続きを読む

朽木和泉守陣屋(滋賀県近江八幡市)

朽木和泉守陣屋

福知山藩・朽木氏庶流の代官所。
天保年間、朽木綱常によって創設。

朽木氏に与えられていた代官地が天領となったことによる代替のため、同郡内の木村および下小房村に新たな代官地が与えられた。
以降、明治維新まで朽木氏の領地となる。

詳しい場所は不明だか、北之庄村の山麓に代官所が構えられたとされる。 続きを読む

朽木主膳陣屋(滋賀県近江八幡市)

朽木主膳陣屋

福知山藩・朽木氏庶流の代官所。
1698年、朽木則綱が近江国内に6千石の代官地を与えられ、その頃に設置されたものと考えられる。
則綱以降、歴代の領主である直綱・紀綱・長綱・綱弘は代々「朽木主膳」を名乗った。
1825年に同地一帯が天領となったため、廃城となる。

城域は、現在の玉木町バス停付近とされる。
南北約70m×東西約50mの規模があったと考えられる。 続きを読む

宇津呂館(滋賀県近江八幡市)

宇津呂館

宇津呂氏代々の居館。
鎌倉時代、京極貞高による築城。
宇津呂氏は京極氏の一族で、京極貞高が宇津呂氏を名乗ったことが始まりとされる。

城域は、近江八幡市中村町内にある八幡神社から公禮八幡宮付近とされる。 続きを読む

円山城(滋賀県近江八幡市)

円山城

西条氏代々の居城。
築城時期は不明だが、鎌倉時代中期に佐々木長綱の子・氏綱が西条氏を称して同地に築城したと考えられる。

西ノ湖と長命寺川に囲まれた円山(標高183m)に位置する。
1568年、織田氏に攻められ落城。

城域は円山全体に及び、山頂部の主要な曲輪2ヶ所を始め、東側尾根には無数の曲輪群が点在。
東側の曲輪跡には櫓台と思われる5m四方の巨大な石積みの跡が残るが、詳細は不明。
その構造から寺院跡を改修したものとも考えられる。 続きを読む

浅小井城(武双山湖月城)(滋賀県近江八幡市)

浅小井城

佐々木氏一門・浅小井氏代々の居城。
長享年間、浅小井加賀守元範による築城。

1516年、浅小井元秀が六角氏と対立する伊庭貞隆に味方したため、六角氏によって城を追われる。
その後は山中俊好に与えられたが、1568年の織田氏の上洛軍に抵抗して落城。
1584年に池田秀氏が入城。
池田氏の伊予転封に伴って、1595年に廃城となる。

城域は浅小井集落全体に及び、畑地に本丸跡とされる微高地が残る。
集落内には南大手門を守備した今村氏の屋敷跡などの案内板が建てられ、城の姿を現代に伝えている。
別名を『武双山湖月城』。 続きを読む

北津田城(滋賀県近江八幡市)

北津田城

北津田集落にある丘城。
築城時期・築城主など、詳細は一切不明。

北津田集落の奥津嶋神社の南側、小高い丘の頂部に位置する。
東西40m、南北20mほどの主曲輪を中心に、四方に曲輪を配した構造。
主曲輪はベンチを備えた公園として整備され、周囲の土塁と東西の虎口が明瞭に残る。
主曲輪の東西に曲輪、北側に帯曲輪が確認でき、東の曲輪の東側にも虎口と思われる地形が見られる。
南側は平削状態がよくないため、その先の構造は判然としない。
長名寺川の河口にあり、当時は琵琶湖の入り江に面していたものと思われる。

周辺には琵琶湖岸に沿って観音寺城の支城群(水茎岡山城・北之庄城・円山城)が連なっており、それらに関連した城砦であると推測される。 続きを読む

常楽寺城(木村城)(滋賀県近江八幡市)

常楽寺城

六角氏一族・木村氏代々の居城。
築城時期は不明。

木村氏は佐々木六角氏の一族で、鎌倉時代初期に佐々木経方の子・定道が同地を領したことに始まる。
観音寺城の外港である常楽寺湊を目的があったとされる。
1525年、伊庭貞隆に攻められて落城。
六角氏の衰退後は織田氏に従い、木村氏は安土の町奉行を務めた。

城域は住宅地となっているが、港部分は『常浜水辺公園』として整備されている。
石垣や舟入跡の水路が残る。 続きを読む

立花城(滋賀県守山市)

立花城

旧立花村にあった平城。
築城時期など、詳細は一切不明。

中世の状況はまったく不明だが、立花村は江戸時代には旗本上田氏の領地となっている。

城域は立田町内の興願寺付近とされる。
かつては土塁が残っていたとされるが、現在は宅地開発されており遺構は存在しない。 続きを読む

上田氏服部陣屋(滋賀県守山市)

上田氏服部陣屋

幕府旗本・上田氏の野洲郡における采地陣屋。
1635年、上田重秀による創設。
上田氏は野洲郡内に8ヶ村5千石を与えられ、子孫は上級旗本として明治維新を迎えるまで当地を治めた。

服部集落内の南産土神社の境内および南側の畑地一帯が城域とされる。
集落を囲む水路は当時の堀の名残とされ、隣の津田集落に移築門が残る。 続きを読む

幸津川館(日向館)(滋賀県守山市)

幸津川館

日向正成の居館。
江戸時代初期、当地の代官・日向半兵衛正成による築城。
幸津川集落は野洲川下流の西岸に位置する環濠集落で、湊町として発展していた。

城域は下新川神社の境内一帯とされ、付近の幸津川会館には城址を示す碑が建つ。
別名を『日向館』。 続きを読む

戸田城(滋賀県守山市)

戸田城

旧戸田村にあった平城。
築城時期など、詳細は一切不明。

中世の状況はまったく不明だが、戸田村は江戸時代には和泉国伯太藩の領地となっている。
伯太藩のほか、近江国山上藩・武蔵国川越藩・旗本木下氏の領地が錯綜していた。

現在、城域には圓光寺が建つ。
周辺の民家内に土塁が残るが、私有地につき確認はできない。 続きを読む

古高城(滋賀県守山市)

古高城

三上氏の家臣・古高氏代々の居城。
築城時期は不明だが、城主に「古高甚内」の名が確認できる。
古高の地は鎌倉時代から三上氏が治めており、その頃から古高氏の居城があったと考えられる。

1569年、織田氏の上洛軍に攻められて落城。
最後の城主である古高三河守は旗色を明らかにしないまま死去しており、その後の古高氏の動向は不明。

現在、城域には大将軍神社が建つ。
周辺は宅地開発されて遺構は存在しないが、「南屋敷」「東屋敷」「西屋敷」「堂の内」など城との関係を示す旧地名が残る。 続きを読む