丹下城(大阪府松原市)

丹下城

在地の土豪・丹下氏代々の居城。
鎌倉時代、丹下氏による築城。

丹下氏は元は会賀荘の農民であったとされ、鎌倉時代後半に武士化して丹下城を本拠に勢力を持った一族。
南北朝時代には北朝方に属し、南朝方の勢力と同地で度々戦っている。
1337年には丹下三郎入道西念が大軍を率いて古市に布陣し、野中寺付近で南朝方の岸和田治氏と合戦になって敗れている。
また、1338年には支城の松原城が和田正興・橋本正義らに攻められて落城した。

丹下氏は室町期・戦国期を通して存続したが、1575年に織田信長が河内国内の諸城に対して破却を命じた河内国城郭破却令によって丹下城は廃城となった。
その後の丹下氏は吉村に姓を改めて同地の代官となり、江戸時代前半には丹北郡内18ヶ村の大庄屋を務めている。

大塚山古墳を利用した丘城。
発掘調査が行なわれていないため、城の構造は不明。
大正時代まで墳丘内に住居を構えられて村が存在したが、1925年に陵墓参考地となって強制退去させられ、現在は立入禁止となっている。

所在地

大阪府松原市西大塚・羽曳野市南恵我之荘

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