小山城(大阪府藤井寺市)

小山城

南北朝時代における南朝方の城砦のひとつ。
詳しい時期は不明だが、志貴右衛門による築城。

志貴右衛門は楠木正成の配下として活躍した人物。
楠木正成が八尾別当顕幸と戦った際に小山城に入り、僅か100騎で城を守ったとされる。
室町期に小山城は畠山氏の支配下となり、畠山義就が重臣の安見備中守清時を城主として以降、安見氏代々の居城となった。
1566年に三好康重に攻められて落城し、安見氏は交野城へと退去。
その後は三好氏の支配下となるも織田氏による侵攻を受け、1573年に織田信包・滝川一益らに攻められて落城。
1575年に織田信長が河内国内の諸城に対して破却を命じた(河内国城郭破却令)ことにより、廃城となった。

津堂城山古墳(藤井寺陵墓参考地)を利用した丘城。
周囲に二重の堀が巡らされ、墳丘部を本丸として南西に二の丸、さらに堀を挟んだ南西に三の丸が続く構造を持っていたとされる。
墳丘の一部は立入禁止であるものの古墳全体が「津堂城山古墳史跡公園」として公園化されており、内部を自由に散策することができる。

その他の写真

Google Photos

所在地

大阪府藤井寺市津堂

コメント