多治見次郎四郎国長の居館。
築城時期は不明。
多治見国長は土岐氏(美濃源氏)の流れを汲む饗庭氏の一族で、美濃国土岐郡多治見郷を本拠とした。
1324年、後醍醐天皇による鎌倉幕府打倒の計画に参加し、日野資朝の招きによって土岐頼兼・舟木頼春・足助貞親らとともに上洛。
しかし、計画は六波羅探題に露見し、国長は小串三郎左衛門範行に攻められて錦小路で討死した。(正中の変)
多治見市の中心部、多治見銀座商店街の一角に「多治見国長公遺址」の碑が建つ。
屋敷は碑のある位置を北東端とし、100m四方に広がっていたとされる。
1957年、岐阜県史跡に指定。
多治見国長は地元・多治見市で現在も人気があり、毎年11月3日に開かれる「多治見まつり」では武者行列の中で主役の扱いを受けている。 続きを読む