日別アーカイブ: 2018年8月4日

多治見城(多治見国長邸)(岐阜県多治見市)

多治見城

多治見次郎四郎国長の居館。
築城時期は不明。

多治見国長は土岐氏(美濃源氏)の流れを汲む饗庭氏の一族で、美濃国土岐郡多治見郷を本拠とした。
1324年、後醍醐天皇による鎌倉幕府打倒の計画に参加し、日野資朝の招きによって土岐頼兼・舟木頼春・足助貞親らとともに上洛。
しかし、計画は六波羅探題に露見し、国長は小串三郎左衛門範行に攻められて錦小路で討死した。(正中の変)

多治見市の中心部、多治見銀座商店街の一角に「多治見国長公遺址」の碑が建つ。
屋敷は碑のある位置を北東端とし、100m四方に広がっていたとされる。
1957年、岐阜県史跡に指定。

多治見国長は地元・多治見市で現在も人気があり、毎年11月3日に開かれる「多治見まつり」では武者行列の中で主役の扱いを受けている。 続きを読む

池田城(岐阜県多治見市)

池田城

美濃池田氏に関連する城館。
築城時期・築城主など、詳細は一切不明。

美濃池田氏は源頼光の末裔を自称し、源頼政の弟・泰政が美濃国池田郡池田荘を領して池田氏を称したことが始まりとされる。
戦国期には池田恒利の妻が織田信長の乳母となったことにより、織田氏の有力被官となった。
池田城は池田恒興(池田恒利の子)に関連する城館とされるが、その詳細は不明。

池田真徳稲荷神社の境内一帯が城域とされる。
神社本殿の南側下段に東西60m、南北40m程度の平削地が広がり、南端は切岸状の斜面となって麓の土岐川に至る。
また、本殿の北側には櫓台と思われる高まりが見られる。
城郭の特徴がある地形が境内一帯に見られるものの、全体として城郭遺構であるかは判然しない。

本殿の南側に歴代城主のものとされる墓が並び、隣接する池田不動神社には小牧・長久手の戦いで戦死した池田恒興・之助父子の墓と伝えられる墓標が建つ。 続きを読む