日別アーカイブ: 2018年6月16日

安田砦(大阪府大阪市)

安田砦

石山本願寺の支城のひとつ。
詳しい時期は不明だが、元亀年間の織田氏との抗争(石山合戦)に際して石山本願寺の出城として築城。

安田砦は石山本願寺の東の防衛を担っていた出城のひとつ。
天正8年7月13日(1580年8月23日)、織田方・佐久間信盛に攻められて辻砦とともに落城。
それによって石山本願寺は孤立無援となり、顕如退去後も抵抗を続けていた教如は遂に同地を退去した。

城砦の名称と石山本願寺との位置関係から旧茨田郡安田村(現・大阪市鶴見区安田)にあったと推測されるが、詳しい位置は不明。
安田村は1533年に若江郡安田村の住人が大和川からの水難を避けるために移住したことに始まり、その中心にある安田住吉神社付近が台地の先端にあって城の存在を窺わせている。 続きを読む

桑津環濠(大阪府大阪市)

桑津環濠

大坂の陣の激戦地に形成された江戸時代の環濠集落。
詳しい時期は不明だが、大坂夏の陣が終結して間もなく成立したものと思われる。

桑津の地一帯は大坂夏の陣において激戦地となり、住人は四方に環濠を掘って環濠集落を形成。
北に2ヶ所、南に1ヶ所、西に1ヶ所の計4ヶ所に木戸を設けて外部との通行を制限し、夜間には木戸は閉ざされていた。
1868年の鳥羽伏見の戦いの頃、落武者が夜に救いを求めて木戸を叩いたときにも、住人は灯りを消して木戸を開けることはなかった伝わる。

環濠は昭和初期まで存在したが、現在は埋め立てられて道路となっている。
現在の東住吉区桑津3丁目の南東部分に相当し、桑津公園の東側の道路を西辺、桑津天満宮前から東向きに続く路地を北辺とする東西150m、南北180mほどの範囲。
南辺以外は環濠の形状が道路となって残り、複雑に入り組んだ集落内の路地は江戸時代の絵図とほぼ合致する。
唯一の遺物として北の木戸口に祀られていた北口地蔵尊が現存し、往時を偲ばせている。 続きを読む

大塚城 / 茶臼山陣城(大阪府大阪市)

茶臼山陣城

細川氏の陣城、後に大坂の陣における徳川・豊臣両陣営の陣城のひとつ。
1546年、山中又三郎による築城。

元は細川晴元が築いた陣城とされ、1546年に家臣の山中又三郎が茶臼山古墳に築城したことが始まりとされる。
1547年、舎利寺の戦いで細川氏綱・遊佐長教連合軍に攻められて落城した。
その後の城の動向は不明だが、1614年の大坂冬の陣では徳川家康の本陣が置かれた。
『武徳編年集成』によると山頂部に徳川家康の寝所があり、西麓には茶屋、南麓には納戸、東には浴室があったと記されている。
翌年の大坂夏の陣では、豊臣方の真田信繁が同地に陣を構えた。

天王寺公園内、河底池の背後に現在も茶臼山古墳が残る。
山頂部には15m四方程度の平坦地があるものの城の遺構であるかは不明で、後世の改変である可能性が高い。
また、周囲に曲輪跡と思われる平坦地がいくつか見られるも、城郭遺構である確証はない。

周辺には大坂夏の陣で戦死した本多忠朝の墓所がある一心寺、同じく大坂夏の陣で真田信繁が戦死した安井天満宮、毛利勝永の陣が置いた四天王寺など、大坂の陣に関連する史跡が数多く存在している。 続きを読む

桑才砦(大阪府門真市)

桑才砦

旧茨田郡桑才村にあったとされる城砦。
築城時期・築城主など、詳細は一切不明。

桑才村を含む河内十七箇所(河内国茨田郡西部)では室町時代後期に大規模な戦いが度々行なわれており、その際に築かれた砦のひとつと考えられる。
河内十七箇所を戦場とした戦いには、1483年に河内国領有を巡った畠山義就と畠山政長の争い、1549年に三好長慶と三好政長の争い(江口の戦い)などがある。

桑才砦は「権兵衛山」に築かれたとされるが、詳しい位置は不明。
同地の東側を流れる古川沿いにあったと思われるも、一帯は宅地整備されて城の存在を窺わせる地形は見られない。 続きを読む