本能寺(京都府京都市)

本能寺

法華宗本門流の大本山。
1415年、日隆による創建。

創建当時の寺号は「本応寺」。
開祖の日隆は法華経の解釈を巡って妙本寺5世・月明と対立し、1418年に同地を追われる。
1429年に帰洛し、1433年に如意王丸という人物から土地の寄進を受けて再建。
そのとき、寺号を「本能寺」に改めた。
室町時代後期には足利将軍家の庇護を受け、洛中法華21ヶ寺のひとつとして栄えた。

戦国期には織田信長が入洛時の宿所として使用。
1582年6月21日未明、少数の供を連れて宿泊中の織田信長を明智光秀率いる1万3千の軍勢が襲撃。
信長以下32名と中間衆24名が討死・自害した。(本能寺の変)
1591年、豊臣秀吉の命で現在の京都市中京区下本能寺前町に移転、再建された。

東は西洞院通、西は油小路通、南は蛸薬師通、北は六角通に囲まれた寺域を有し、その規模は東西約140m、南北約270mに及ぶ広大なものであったとされる。
2007年に実施された発掘調査により、城郭を思わせる堅牢な防御施設があったことが判明。
周囲には土塁が巡らされ、その外側に石垣を施した幅約4m・深さ約1mの堀が巡らされていたことが確認された。
また、本能寺の変のときと思われる焼けた瓦が多数出土している。

現在、同地には京都市立堀川高等学校本能学舎と高齢者福祉施設、カフェなどが建つ。

所在地

京都府京都市中京区元本能寺町・六角油小路町・本能寺南町・池須町

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