敏満寺城(滋賀県犬上郡多賀町)

敏満寺城

敏満寺が城塞化した寺院城郭。
敏満寺は飛鳥時代に胡宮神社境内に建てられた天台宗の寺院。
中世には48伽藍120坊を擁する湖東一大寺院として勢力を誇り、佐々木氏(京極氏・六角氏)との対立の過程で城塞化したものと考えられる。

1562年、浅井氏から離反した久徳城主・久徳実時を支援したとして、浅井長政に攻められる。
胡宮神社の神官・新谷伊豆守勝経を始めとした800人が応戦するも戦死し、堂宇は尽く焼け落ちた。
寺は翌年に再建されるも1572年に織田信長の焼き討ちによって残る坊舎を焼かれ、寺領を没収。
敏満寺はそのまま廃され、慶長年間から始まった彦根城築城に際して建物の礎石が運び去られている。

青龍山(敏満寺山)の西麓、舌状台地の先端に位置する。
名神高速道路上りの多賀サービスエリア敷地内に土塁の一部と枡形虎口、それに付随する櫓台の跡が良好な状態で残存。
下りのサービスエリア敷地内と胡宮神社の境内にも土塁の遺構が残る。
敏満寺の寺域と城域が離れているため、寺院自体が城塞化したのではなく独立した出城として構築された可能性が指摘される。

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所在地

滋賀県犬上郡多賀町敏満寺

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