補陀楽寺城(滋賀県甲賀市)

補陀楽寺城

大原氏の支城のひとつ。
築城時期は不明だが、大原城の支城として大原氏の一族が築城。

1585年、甲賀衆は羽柴秀吉によって所領を一斉に没収され(甲賀破議)、大原氏は同地を離れた。
補陀楽寺城も同時期に廃城になったものと考えられる。

JR甲賀駅から北西に1kmほど向かった線路沿いにある補陀楽寺境内および大原市場公民館が城域とされる。
補陀楽寺を城塞化した寺院城郭であり、50m四方の方形単郭の構造であったと考えられる。
境内の北面と東面に高さ2m、長さ30mほどに渡って土塁の一部が残存する。
かつては西面にも土塁が残っていたが、公民館の建設によって消滅。
1995年に実施された発掘調査で土塁下層の溝跡から戦国期の遺物が出土しており、土塁は戦国時代末期に築かれたものと推定される。

線路を隔てて南東に位置する市場陣山城は、詰めの城であったと考えられている。

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所在地

滋賀県甲賀市甲賀町大原市場

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