室町幕府管領・畠山政長の陣城。
1477年、応仁の乱において畠山政長が正覚寺に布陣したことが始まりとされる。
正覚寺が城塞化した寺院城郭。
1477年、河内に下向してきた畠山義就に攻められ、政長は領国を追われた。
政長はその後も正覚寺城を拠点に河内奪還のための戦いを続けるも、1493年に明応の政変が起こると孤立。
畠山義豊に攻められて城は落城し、政長は自害した。(正覚寺合戦)
1496年に河内守護・遊佐氏と誉田氏が同地で水利権を巡って合戦に及んでいることが確認できる。
1577年には石山本願寺攻めのために織田方が陣を置いている。
現在、城域には旭神社が建つ。
境内中央の木の茂みに城址を示す碑が建つ。
正覚寺は1493年の落城をもって廃寺となり、1962年に現在の位置に再建された。
所在地
大阪府大阪市平野区加美正覚寺