大物城(尼崎古城)(兵庫県尼崎市)

大物城

海運上の要地である大物浦を抑える城砦。
文献上の初見は1473年の『萩藩閥閲録』に見られるが、一般的には1519年に細川高国が「柵城」を築いたことを始まりとする。

大物浦は古くから海運上の要地として栄えた地域。
1519年に管領・細川高国が同地に「柵城」を築き、1526年には細川尹賢に城の拡張を命じている。
1527年、細川高国と細川晴元が争った桂川原の戦いの折に落城。
播磨守護代・浦上村宗の支援を得た高国は、1530年に城将の薬師寺三郎左衛門国盛を降伏させて城を奪還した。
しかし、その翌年に中嶋で細川晴元勢に大敗して尼崎に敗走。(大物崩れ)
細川高国は大物城へ撤退中、紺屋に潜伏していたところを三好元長に捕縛され、廣徳寺で自害した。

その後も大物の地は幾度も戦場となっており、天文年間から元亀年間のうちに28回の在陣が確認できる。
1577年には荒木村重の嫡男・荒木村次が城主となり、翌年に村重が織田氏に対して謀叛を起こすと、大物城は荒木方の要地のひとつとなった。

阪神電鉄大物駅の南側から大物主神社にかけての一帯が城域とされる。
周辺は宅地開発が進み、遺構は存在しない。

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所在地

兵庫県尼崎市大物町

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