水口御殿(滋賀県甲賀市)

水口御殿

徳川和子入内に際して江戸幕府が築いた宿館。
1620年、江戸幕府による造営。

徳川和子は江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の五女。
1612年、徳川家康は後水尾天皇の即位に合わせて和子の入内を朝廷に申し入れ、1614年に入内宣旨が出される。
その後、大坂の陣の勃発や徳川家康の死去、後陽成院の崩御などが続いたことで延期され、1620年に後水尾天皇の女御として入内。
それに際して、江戸幕府は水口に宿泊施設として「御茶屋御殿」を造営した。
1626年に徳川秀忠が上洛した際にも、宿館として利用している。
1634年、水口城が築城されたことによって廃止された。

現在は公立甲賀病院の敷地となっており、遺構は存在しない。
資料によると単郭方形で周囲に堀を巡らせ、東側に外枡形を設けた構造であったとされる。
後に築城された水口城本丸と類似する構造だが、その規模は水口城よりも一回り小さかったことが窺える。

所在地

滋賀県甲賀市水口町松尾

水口御殿(滋賀県甲賀市)」への2件のフィードバック

  1. 川崎泰明

    上の写真の場所ではありません。
    甲賀病院は移転しましたので旧甲賀病院の
    跡地(現在は保育園)が該当場所です。
    近くには水口神社があります。

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コメント