信太城(大阪府和泉市)

信太城

在地の土豪・信太氏(成田氏)の居城。
築城時期は不明。

信太氏は承久の乱の功によって和泉国信太郷の地頭となったことに始まる一族。
鎌倉時代の御家人として「信太右衛門尉」「信太左衛門尉」の名が見られ、正和年間に信太三郎左衛門入道覚円が和泉守護代を努めている。
室町時代には信太忠俊の名が見られ、宝徳年間に細川常有の元で和泉守護代を努めたことが確認できる。
和泉三十六郷士のひとりに数えられる成田伊豆守忠宗は信太氏の子孫とされ、戦国期には成田氏に改姓したものと思われる。
成田氏は織田信長に降伏してその支配下となり、織田氏による畿内一円の戦いに参戦した。

和泉市立信太小学校の敷地に「城(じょう)」の旧地名が残る。
同地は小栗街道に面した台地の先端にあり、城館があった可能性が高いと考えられる。

所在地

大阪府和泉市尾井町・太町

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