観音寺城(大阪府和泉市)

観音寺城

1338年の石津の戦いにおける北畠方の城砦のひとつ。

大和国般若坂での戦いに敗れた北畠顕家は、再起を図って和泉国各地を転戦。
堺浦の町屋と石津を焼き払い、坂本郷と観音寺に城砦を構えて各地に進撃した。
石津川畔で北朝方の細川顕氏を破った北畠顕家は阿倍野まで進出し、北朝方・高師直との激戦の末に敗死。
残った兵は観音寺城に集結して再挙したが、北朝方の追撃に敗れて南方へと敗走した。

南海バス観音寺町バス停前、弥生4号公園内に城址碑が建つ。
北側に槙尾川を臨む丘陵上にあり、JR和泉府中駅から泉北高速鉄道和泉中央駅に向かう道路の最高所の地点に位置する。
遺構はないものの、その立地から槙尾川を防衛線に堺方面を意識した城砦であったことを窺わせている。

所在地

大阪府和泉市観音寺町

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