中村城(京都府福知山市)

中村城

猪崎城の支城のひとつ。
塩見播磨守義近による築城と伝わるが、詳しい時期は不明。

塩見義近は嘉吉の乱を起こした赤松満祐の遺児とされ、栗城主・大槻佐渡守の女を娶って「塩見播磨守義近」を名乗ったと伝わる。
但し、塩見義近が後に天田郡一帯に勢力を持った塩見氏と関連があるかは不明。
戦国期には横山城主・塩見頼氏(横山頼氏)の子が入城し、本城である猪崎城の支城網の一角を担った。
1579年に横山城が明智光秀に攻められて落城した際、同時期に落城したものと思われる。

中集落の背後、猪崎城から北に向かって続く丘陵の北端に築かれた丘城。
南北100mに渡って細長く曲輪が連なり、大きく南曲輪・主曲輪・北曲輪で構成される。
南曲輪は全体が土塁で囲われ、南辺には虎口が設けられている。
土塁の外側には空堀が明瞭に残り、東辺の堀底には障子堀を思わせる凹凸が確認できる。
主曲輪は内部が2段になり、南曲輪と同じく全体が土塁で囲われた構造。
南辺と東辺の土塁は高く、特に南辺は城域全体のほぼ中央にあって厚く形成されていることから、櫓台の可能性が考えられる。
東辺の外側には土塁に沿って空堀が見られ、南北一直線に伸びて南曲輪の東辺へと続く。
主曲輪と南曲輪は大堀切によって遮断され、土塁頂部との高低差は現状においても5m以上に達する。
主曲輪の北側にも大堀切があり、その北側に厚い土塁を隔てて北曲輪が続く。
北曲輪は小規模な段曲輪が3段に渡って連なり、北端は自然地形となって麓に至る。

小規模ながら土塁・虎口・空堀・堀切が効果的に配置された技巧的な構造を持つ城であり、同地を支配した塩見氏の築城技術の高さを伺わせる。

その他の写真

Google Photos

所在地

京都府福知山市中

コメント