猪崎城(京都府福知山市)

猪崎城

在地の土豪・塩見氏の本城。
時期は不明だが、塩見大膳頼勝による築城。

塩見氏は丹波国天田郡一帯に勢力を持った一族。
小笠原源太氏信が戦功によって足利尊氏から天田郡に領地を賜り、8代・頼勝が塩見氏を称したことが始まりとされる。
塩見頼勝は猪崎城を築いて本拠とし、嫡男(横山頼氏)を横山城、二男(奈賀山長員)を中山城、四男(和久長利)を和久城、五男(牧利明)を牧城に配して天田郡一帯に勢力を拡大。
戦国期には細川氏に従って各地を転戦し、細川高国が敗死した1531年の大物崩れに至る一連の戦にも参戦している。
後に、猪崎城は三男の塩見利勝に譲られた。

1579年、明智光秀に攻められて落城。
横山城・和久城・中山城が次々と落城したことで、塩見播磨守家利(塩見利勝の子)は自ら城に火を放って逃亡。
しかし、逃亡中に川北周辺で明智方の林半四郎に討ち取られたといわれる。

由良川に面した城山(標高65m)に築かれた丘城。
最頂部の主曲輪を中心に、東西方向に複数の段曲輪が設けられた構造を持つ。
主曲輪には60m四方程度の円形の平坦地が残り、その周囲は西側を除く三方に土塁を伴う空堀が設けられている。
主曲輪の西には2段の帯曲輪があり、上段は南北50m・東西10m、下段は南北70m・東西15mほどの何れも細長い平坦地が良好に残る。
主曲輪の東には北東方向に60mに渡って幅20~30mほどの3段の曲輪が連なる。
また、主曲輪の南にも小曲輪が見られ、城域の外周は東側を除く三方が深い切岸となっている。

現在、城域全体が城山公園として整備。
土師川と合流した由良川が北西に流路を変える天然の要害にあり、由良川を挟んだ南岸に京から丹後・但馬へと通じる街道を臨む陸水交通の要衝に位置する。

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所在地

京都府福知山市猪崎

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