但馬国府(兵庫県豊岡市)

但馬国府

平安時代における但馬国の国庁(地方政庁)。
804年、出石郡袴狭より国府機能を移転。(諸説あり)

但馬国の国府は当初、袴狭遺跡周辺(豊岡市出石町袴狭)もしくは気多郡内にあったと推定される。
袴狭遺跡からは「国府」と記された木簡や銅鏡、木製祭祀具などが出土しており、初期の国府跡であった可能性が高いと考えられている。
『日本後紀』804年正月の条に「気多郡高田郷に遷す」と記述があり、国府は高田郷(現在の豊岡市日高町祢布)に移転。
少なくとも11世紀頃まで、同地が但馬国の国府として機能した。

1995年に実施された発掘調査にて、豊岡市役所日高総合支所に隣接する健康福祉センターおよびブリヂストンタイヤ但馬営業所の敷地より大型建物の遺構が発見される。
平檜の柱が規則正しく配置された建物や四脚門を持つ築地塀、白磁器や青磁器、墨書土器、陶硯、木簡、漆紙文書などが多数出土した。
政庁や正倉などの中枢建物の遺構は発見されていないものの、同地が但馬国府であったことは確実と考えられる。

現在、国府跡の東側の一部が祢布ヶ森遺跡公園として整備されている。

所在地

兵庫県豊岡市日高町祢布

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